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【リリース短信 -1- 】  2012年度版 日本の温泉データ公開にあたって

温泉地というと、一般的なイメージでは草津や熱海といった、ホテルや旅館が多く建ち並び、土産物店が軒を並べる一つの”街”的な姿を思い浮かべますが、環境省の定義では「宿泊施設がある場所」となっているため、1軒宿も温泉地にカウントされます。2014年春に発表された2012年度データでは、日本の温泉地は3,085カ所です。ところが、この数値には毎年、疑問符が付きます。

その前年度である2011年度と比べると温泉地は-23となっています。もちろん、草津や熱海といった規模の温泉地が毎年消えたり、出現したりするわけがありませんから、その数の主体は1軒宿による温泉地です。ですから、温泉地の増減は、温泉宿泊施設の増減と密接な関連があります。そこでまず、県別の温泉地の増減をみてみると、もっとも大きな動きがあったのは熊本県の-27でした。ところが宿泊施設の増減を見てみると、温泉地数に影響を与える宿泊施設は-10しかありません。単純に考えれば、一軒宿の温泉宿泊施設が27軒廃業し、温泉地数に影響を与えない既存の温泉地に17の宿泊施設が新たにオープンしたことになりますが、全国的に温泉宿泊施設が減少の一途をたどっているなかで、他県の増減と比較しても明らかに大きな数字であり、違和感を感じます。

実は熊本県には前科があります。2009年度で80であった温泉地数は、2010年度には114と一気に34も増えています。そこで当時、環境省に「なぜ34も増えたのか」と理由を聞いたところ、「県による計上の仕方の違い」といった趣旨の回答がありました。そして2011年度には82となり、-32となりました。これについて再度、環境省に問い合わせましたが、返事がありませんでした。おそらく、前年度の誤計上を修正したためでしょう。そして今回は-27となるわけです。その真相は不明ですが、熊本県の変動数が飛びぬけて大きいため、全体の温泉地数にも大きな影響を与えているわけです。

データの発表は環境省ですが、実際にカウントしているのは各都道府県が行っているため、計上の仕方の違いやミスなどにより、温泉地数以外にもこうした齟齬はかなり含まれていると思われます。とくに「ゆう出量」や「延べ宿泊者数」などにはかなりの誤差が含まれていると考るのが妥当でしょう。

管轄保健所数や市町村数は間違えないとしても、日々変動する対象において正確な絶対数を把握することは不可能です。数値を読み解く際には、こうした背景にも思いを巡らせてみることも必要です。

【温泉雑感 -2- 】 説明責任

先日、ある二つの温泉地(仮にA、Bとします)に対して、あることについて質問のメールを送りました。いずれも、その分野に少しでも明るければ「あり得ない」とすぐに判断できる初歩的な内容なのですが、それを「ある!」と誤認してホームページで宣伝をしています。しかも、温泉地Aは某国立大学のC名誉教授、温泉地Bは某私立大学のD教授が関わっていて、お墨付きを出しているのです。実際、それぞれの温泉地を訪ねてみました。温泉地Aでは、飲泉場の前で地元の関係者らしい方が観光客に「○○なので効果がありますよ」と宣伝をしています。温泉地Bでは、たまたま視察団が来られていたようで、地元の旅館組合の方と思われる案内人が泉源を前にして、説明をされている場面に遭遇しました。そこでさりげなく視察団に混じって耳を傾けていると、やはりここでも「○○なので素晴らしい泉質だ」という説明をされています。それが間違いであることに疑いの余地はないのですが、温泉地A、Bの方は大学教授からのお墨付きとあって、すっかり信じ込んでいます。そのことについて温泉地A、Bの方々を責めるわけにはいきませんが、それだけにずいぶん酷な話でもあると思います。

そこで、「あり得ない」ことが、なぜ、「ある」という判断に至ったのかを知りたくてメールを送ったのです。温泉地Aからは数日後、「我々ではわからないので、C名誉教授に聞いてほしい」と直接電話がありました。そこで、C名誉教授に同様のメールを送ったのですが、3週間以上たっても音沙汰なしです。温泉地Bからは「後程、担当者からご返事します」という自動返信メールがあっただけで、同じく3週間以上たっても何の連絡もありません(追記:最初のメールから1カ月半経過しても返事がなかったので、具体的な事実関係を提示して2度目のメールを送りましたが、返信はいただけませんでした)。

温泉は物語の世界です。温泉地の歴史で言えば、熊や鹿、あるいは弘法大師が温泉を発見したという話に始まり、効能で言えは胃腸に効く、傷に効く、最近に至っては美肌やデトックス効果など、その真偽は別として、温泉を彩る物語は尽きることがありません。たとえこれらの話が事実でなかったとしても、温泉を楽しむための余興ということで聞き流すことができるでしょう。

しかし、温泉地AとBの話は、これとは様相が全く異なります。話は科学的な内容であるうえ、「あるはずがない物」が「ある」と断言され、数値まで明確に示されています。しかも、温泉地A、Bともにホームページで温泉の効能に結びつける形で明確に謳われているのです。

この問題は、科学的な内容を保証したC名誉教授、D教授についての部分と、それを宣伝している温泉地側の対応の部分の二つに切り分けて考える必要があります。我々が問題視しているのは前者の部分についてですが、後者の部分である温泉地の宣伝内容については、たとえ質問者が誰であっても説明責任があるはずですから、各温泉地の対応には自覚がなく、失格と言わざるを得ません。

いずれにしても、両者ともに説明責任が発生する内容です。それにまともに「答えられない」(つまり自信がない)、あるいは「答えたくない」「答える必要はない」と考えているとすれば、世に発表したり広告宣伝をする資格はないのでは、と思います。

【追記 2015年4月】
投稿から1年経過しても事態が改善される見込みがなく、もはや伏字とする理由もないので、以下追記いたします。
温泉地A→山中温泉(石川県)
温泉地B→俵山温泉(山口県)
某教授C→廣瀬幸雄氏(金沢大学名誉教授)
某教授D→松田忠徳氏(札幌国際大学教授)

【2015年11月30日追記】
この件に端を発する俵山温泉の問題について未だ解決の兆しが見えず、官民総出で誤った情報の流布が続いているため、以下のページで問題提起しました。
「俵山温泉、山中温泉に高濃度の溶存水素は存在しない」

 

【温泉雑感 -1- 】 功を焦りすぎると・・・

温泉地や温泉施設から調査業務についての問い合わせをいただきます。調査内容は様々ですが、どんな調査でも依頼主にとって満足できる良い結果が必ず保証されているわけではありません。しかし、依頼する側としては「良い結果が出る」ことを前提に問い合わせをされてくる場合がほとんどです。とくに端的に示されるのは広告代理店からの問い合わせです。たいてい、「ウチのクライアントのある温泉施設が…」という話ですが、温泉地名、施設名は必ず伏せられた上で、「こういう結果を出してもらうことを希望している。可能であるなら費用はいくらか」と単刀直入に聞いてきます。平たく言えば、「クライアントが希望する台本に沿って結果を作ってくれるのなら、お金はいくらでも出しますよ」、ということなのでしょう。

私たちは温泉研究所とは名乗っていても、国でも大学でもない一介の株式会社です。どんな商売であれ、お金をたくさん使ってくれるお客様はどこでも大歓迎です。しかし、こちらも素人ではありませんから、先様のご要望に沿う結果が出そうか、出ないかは、話の向きで瞬時に判別できます。ストーリーに沿った結果が出ないことが丸見な無理筋の案件であれば、安易に引き受けることはできません。とくに温泉の効果効能や質に絡む話は慎重でなければなりません。当所がお引き受け可能な調査内容であれば前向きに取り組みますが、同時に、調査は客観的なものであり、必ずしも期待通りとなる保証はなく、リスクもありますよ、とお伝えします。すると、お問い合わせいただいた案件のうち九分九厘は、ものの数分の電話のやりとりで立ち消えになります。株式会社的には困りものですが、道義的にはそれでよいのです。

いま、STAP細胞に関する騒動がピークを迎えています。新聞報道では総じて当事者の旗色は悪い方向で書かれています。私たちとは分野は違いますし、知識も持ち合わせていないので内容面での論評はできませんが、ただ、一つだけ私たちにもはっきり垣間見えたことがあります。それは、プロセスを疎かにして、結果だけを拙速に求めすぎたのではないか、という疑問点です。

これと同じことは、最近、温泉の世界でも見受けられます。温泉の看板を掲げている事業者や研究者にとって、その効果・効能を強調できる何かの発見や実証は、究極の夢です。しかし、その背景やプロセスに対して十分な認識や検証がないまま、安易(あるいは無理やり)に結論へと直結させている例が散見されます。なかには大学教授とか名誉教授という肩書でお墨付きがついていたりもする例も多々見られます。内容が正しければいいのですが、明らかに間違った内容が権威によって保証されているのは、いったいどうしたことでしょう。
考えられる理由として、
1.認識不足、あるいは確認不足による単なる間違い
2.何らかの理由で、無理やり成果を創出しなければならなかった
3.権威付けの飾りとなる手柄を増やしたかった
こんなところでしょうか。

STAP細胞の話や作曲家のゴーストライター騒動など、プロとしての心構えを思い違えている人が権威への信頼を失墜させ、社会における性善性の部分を揺るがしています。一般人にとって理解が難しい内容であればあるほど、権威(その道のプロ)を信じるしかないのです。こうした事態を垣間見るにつれ、独り善がりに走らず、功を焦らず、ひろく社会を見据えた取り組みが必要であることを痛感させられます。とくに私たちは、社会性を重視しています。温泉と社会の結びつきの中で、おかしなこと、気づいたことがあれば、見て見ぬふりをするのではなく、積極的に関与していくべきだと考えています。