2月15日付で新たに以下の4施設が「還元系温泉認定施設」に認定されました。
・みるき~すぱサンビレッジ (大分県・天ケ瀬温泉)
・ホテル成天閣 (大分県・天ケ瀬温泉)
・福屋旅館 (大分県・天ケ瀬温泉)
・神田湯 (大分県・天ケ瀬温泉)
2月15日付で新たに以下の4施設が「還元系温泉認定施設」に認定されました。
・みるき~すぱサンビレッジ (大分県・天ケ瀬温泉)
・ホテル成天閣 (大分県・天ケ瀬温泉)
・福屋旅館 (大分県・天ケ瀬温泉)
・神田湯 (大分県・天ケ瀬温泉)
2017年5月5日、「日本の温泉データ」を最新の2015年度版に更新しました。
なお、現在環境省が公表(2017年5月1日現在)している「平成27年度温泉利用状況」にはいくつかの誤りが見受けられ、当研究所の独自調査で修正を加えています。当研究所発表の「日本の温泉データ」に影響がある留意点は以下の通りです。
【温泉地数について】
環境省データでは茨城県の温泉地数は107カ所となっていますが、前年度の36カ所と比べ明らかに異常値と認められました。茨城県薬務課に問い合わせたところ、温泉地数は前年度と同様の36であり、環境省サイドでの集計ミスであることが分かりました。
これにともない、温泉地総数も環境省発表の3155カ所から、3084カ所に修正しています。
【泉源数、および湧出量について】
宮城県のデータに疑問点が見出されたため、宮城県薬務課に問い合わせたところ、以下の回答が得られましたので、環境省データを修正しています。
源泉総数750 (誤) → 738 (正)
利用源泉(自墳) 635 (誤) → 207 (正)
利用源泉(動力) 216 (誤) → 213 (正)
未利用源泉(自墳) 188 (誤) → 182 (正)
未利用源泉(動力) 134 (誤) → 136 (正)
温度別(25℃以上) 142 (誤) → 138 (正)
温度別(42℃以上) 319 (誤) → 316 (正)
水蒸気ガス 148 (誤) → 138 (正)
湧出量合計 33,663 (誤) → 26,820 (正)
湧出量(自墳) 9,670 (誤) → 4,687 (正)
湧出量(動力) 23,993 (誤) → 22,132 (正)
上記に伴い、源泉総数、湧出量総計も環境省データに修正を加えています。
他にも齟齬が見られる点がありますが、当ウェブサイトで公開している「日本の温泉データ」に影響がある点は以上です。
温泉教授で知られる松田忠徳氏の近著である。これまで旅行雑誌に連載していた記事に、温泉の抗酸化作用についての実証記事を70ページほど書き加えたものらしいが、この内容が曲者である。温泉評論家とか旅行作家、最近はやりの温泉ソムリエの肩書で書かれたものなら読み流せるが、いまや氏の肩書は医学博士である。
本の帯には「科学的に解明」「化学的に本物でなければならない」「温泉の本質は還元力にある」とある。どうでもいい話なのかもしれないが、そこまで書かれてしまうと看過することもまた難しく思えてくる。何もわからない人が本書の内容を盲目的に受け入れても困るので、誤解防止を目的に問題点を端的に指摘しておく。
■唾液の酸化還元電位について(p16~p28)
著者は十津川温泉、寿都温泉などで湯治前後の唾液の酸化還元電位を測定した。その結果、湯治後の唾液の酸化還元電位は相応に下がったので、温泉による改善効果が認められたと主張している。
かつて、我々も唾液の酸化還元電位についてはさんざん取り組んだ経験があるから言えるのだが、温泉に入らなくても時間や日にちが違えば、本書に記載されている程度の差は普通に出る。これは使用する測定器の精度や測定者によるバラつきの話をしているのではない。何かを食べたり飲んだりした前後、運動をした前後、その時の精神状態など、唾液の酸化還元電位やpHは、さまざまな要因で日々変動している。酸化還元電位の見かけ上の数値の差だけで何の効果であるかを特定すること自体が困難であり、それだけをもって体内の状態や抗酸化力の評価ができるほど単純な話ではない。その理由を以下、列挙する。
1. まず著者が引用している唾液の酸化還元電位の評価法(著者が考案したものではない)自体に根本的な欠陥がある。それは酸化還元電位のみしか見ておらず、pHの観点が欠落していることである。酸化還元電位はpHの関数でもあり、pHが変われば酸化還元電位が持つ意味も変わる。測定対象が唾液であろうと何であろうと、酸化還元電位の値のみで良し悪しを評価することは不適切である。
2. 唾液のpHは分泌量によって変動する。たとえば、興奮をしている時、楽しくて話がはずんだ時にツバが飛び出すのは分泌量が増えているからであり、その時のpHは上昇傾向にある。唾液に含まれる炭酸水素イオン(HCO3-)が、分泌量に応じて増えるからである。逆に、ストレスや緊張を感じている時の分泌量は減少傾向となる。唾液の酸化還元電位やpHの変化のスパンはさほど広くはないが、それだけに、pHのわずかな変動は酸化還元電位が持つ意味に大きな影響を与える。よって、pHを無視することはできない。
3.著者は上記について理解していないためか、測定データをそのまま羅列し、pHの影響を排除するデータ処理を行うこともなく、ただ単純に、酸化還元電位の平均値を求めて「前後で差が認められたので効果あり」としている。だが、一つ一つ意味が異なる値を平均値化することは、「1ドルと1ユーロと1円を足して3で割ったら1だった」と言っているに等しく、何の意味も持たない。
ここで上記3点の傍証として、運動時の酸化還元状態と抗酸化物質との関連について言及した『運動時の唾液酸化還元電位の変化』(塩田ら,2010)と題する論文を取り上げる。
それによると、運動前と比べて、運動後の唾液の酸化還元電位は有意に低下した。データの統計処理を行ったところ、酸化還元電位とpHとの相関関係は確認されたが、酸化還元電位と抗酸化物質との相関関係については明確な確認ができなかった。このことから、酸化還元電位の低下はpHの変化が大きく関係している可能性を指摘している。
酸化還元電位の変化=酸化還元状態の変化とは限らないということである。
■温泉の抗酸化力について(p28~p51)
これは巷間よく誤解されている点だが、活性酸素が「体内で生成されている」と断言するのは正確ではない。現在行われている活性酸素の研究は、体内で生成されていることは「ほぼ間違いないであろう」という前提で行われているに過ぎず、2017年現在、活性酸素が体内で生成されている事実は未だ直接的に確認されていない。よって、「体内で生成されているであろう」とするのが正しい。
このことから、まともな研究者や大学が発表するリリースでは決して断定はしない。「~とされる」とか「推定される」という奥歯に物が挟まった言い方をする。些細なことかもしれないが、これは活性酸素を語る上での基本認識である。
本書では、p42から始まる活性酸素の章の1行目ほか、各所で活性酸素が「産生される」と断定されている。本書を読み進める上で、著者がこのような認識でいることは留意しておく必要があろう。
その上で、著者は十津川温泉、寿都温泉、高湯温泉などで湯治前後のd-ROM test値 (酸化ストレス)とBAP test値(抗酸化力)を調べ、いずれも有意な差が見られたので温泉入浴による効果があったとしている。正しい測定手順が保障されていたのであれば数値は正確であり、結果は事実なのであろう。しかし、それはあくまでもビフォアー、アフターでの話に過ぎない。
たとえば、酸化ストレスは、日常的なストレスや遺伝、疾患など内因的な要素が大きく影響する。抗酸化力は、日常の食事の質など外因的な要素が大きく影響する。また、温泉が関与すると期待感が高まり心理的な側面に大きく作用するので、プラセボの可能性も高くなる。湯治前と湯治後で差が出たからといって、それが温泉入浴による効果であるとは限らないのだ。そもそもコントロールデータが存在しない。著者は「有意」というが、それならば対象群との比較による差をもって「有意」とすべきだろう。実験デザインに根本的な問題がある中で、湯治前後のデータに差が見られたからといって、温泉入浴により抗酸化力が高まった、酸化ストレスが軽減したという根拠にはならないのである。
だが、著者は饒舌だ。先のd-ROM test値の結果から、「高湯温泉では活性酸素が20%も減少した」というが、d-ROM testはヒドロペルオキシド(ROOH)を指標として、“in vitro”(試験管内)で再現された濃度を開発者独自の単位で示す簡易的なパックテストに過ぎず、“in vivo”(生体内)における活性酸素量を測定するものではない。さらに、この結果から野菜を摂取するよりも温泉に入浴する方が抗酸化力を得られるとし、野菜嫌いの子供たちや若者たちは温泉を楽しみながら野菜不足を補ってもらいたいと言うが、それは飛躍しすぎだろう。
抗酸化作用を持つ温泉水があるのは事実だが、すべての温泉がそうなのではない。著者が言う「皮膚から温泉の抗酸化物質が吸収されている」、「毛穴から浸透した温泉の成分は血液やリンパ液に混じり、全身の細胞に運ばれる」とは、具体的にどのような成分を指しているのか。もっともらしく書かれても、ただ困惑するしかない。科学はそれほど饒舌ではない。
■皮膚の酸化還元電位について(p28~p51)
著者は俵山温泉での湯治前後の皮膚の酸化還元電位とpHを測定し、「湯治後の肌の還元力が顕著に高まった」と主張している。確かに入浴前後で比較すれば、還元性の高い温泉に入浴するほど皮膚の酸化還元電位は顕著に低下する。しかし、それは入浴直後に得られるデータである。皮膚が持つ調整作用により数時間もすれば元に戻るのだ。何らかの影響により、下がりっぱなし(上がりっぱなし)になることはない。著者自身、p55で「健康な皮膚であれば普通、2~3時間で弱酸性に戻る」と皮膚のpHについて触れている。これは酸化還元電位も同じである。
「湯治後に皮膚のpHも減少した」(pH5.2→4.7)とも主張している(ちなみに、俵山温泉のホームページではpH5.05→5.39と上がったことになっている)。それが正確だとすると、先の「2~3時間で戻る」という説明と矛盾する。これはどうしたことなのか。よく読むと、その理由として「アルカリ性の源泉に触れることで皮膚のアルカリ中和機能が働き~」と書いている。そうだとすれば、湯治後というスパンの話ではなく、入浴後、「2~3時間で戻る」という皮膚の調整作用中に測定したこと意味しているのではないか。当然、酸化還元電位もほぼ同時に測定しているはずなので、同じことが言える。もし、測定日に入浴は一切していないというのであれば、測定の方法や手順、データの信ぴょう性についての議論が必要になるだろう。皮膚の酸化還元電位の測定で信頼性のあるデータを得るのは、けっこう大変な作業なのだ。
いずれにしても、皮膚の酸化還元電位やpHが入浴による影響を受けて変動するのはせいぜい数時間程度のことなので、それをある一定期間の効果と解釈することはできない。
このほか、「真冬の方が温泉の還元力が強い」(p38)、「-100mV以下の還元力がある温泉が散見されるのは心強い」(p58)、「俵山温泉はわが国屈指の還元力」(p59)、「含有成分より、むしろ溶媒、温泉水そのものの活性である」(p210)等、著者の酸化還元電位に対する認識には怪しい点、恣意的な点が多々見られる。
本書に限ったわけではないが、著者の言説で注意する必要があることは、至極もっともな意見の中に誤謬がそこかしこに潜んでいることだ。データの恣意的な解釈や、こういう結果であって欲しいといった希望的観測が混然一体となり、カオス的な状況を呈している。著者の持論なのかもしれないが、これを科学と呼ぶには程遠い。
最後に、もっとも気になった点を指摘しておきたい。p40冒頭の「科学は万能ではない。森羅万象の中に真の科学は存在する」という一節だ。森羅万象を「解明」するのが科学という手法であるが、「存在」するとはどういう意味なのか。その意味不明な一節からオカルトの匂いが感じ取れると言うのは、少々穿ち過ぎだろうか。
当研究所では5月28日、このたび新しく設立された「分子状水素医学生物学会」の設立記念大会において、「天然の水素温泉について」を口頭発表しました。これは、かねて論文発表した白馬八方温泉の事例を中心に、その後、明らかにした情報を付加して行ったものです。
白馬八方温泉では、高濃度の溶存水素を含む約50℃の湯が日量1,000t以上も湧出しています。これほどの温泉は世界でも例はなく、今後、新たに溶存水素を含む温泉が発見されたとしても、白馬八方温泉に比肩する規模、レベルの温泉はそうそう出てこないと思われます。
ところで、温泉には10種類の泉質区分がありますが、その根拠となる成分には水素(ここでいう水素とは、分子状水素:H2を指します)は含まれておらず、これまでノーマークとされてきました。温泉に泉質名が付くということは、同時に適応症の掲示が認められた「療養泉」の資格を有することを意味します。この適応症と成分との関係については、2014年の鉱泉分析法指針の改訂にともなって若干、整理された部分(たとえば、妊婦の入浴の禁忌が削除となったことなど)はありますが、依然として、医学的、科学的根拠が曖昧である感は否めません。成分よりも、温熱や転地効果に依存している側面が強いとも言えます。その中で水素は療養泉の根拠となる成分として、これまで明瞭な効果が確認されてきた「硫黄泉」や「炭酸泉」をも凌駕し得る、高いポテンシャルを秘めています。
一方、水素の研究はまだ途上にあります。未明な事も多く残されていますが、医学的な効果を報告する原著論文はすでに世界で300報を超えており、着実に成果を上げつつあります。水素による療養効果が重畳的に明らかになるにつれ、11種類目の新たな泉質名として「水素泉」の実現への期待もいっそう高まります。
温泉そのもので病気を治すことはできませんが、疾病予防や病後回復に効果が期待されていることは周知のとおりです。平成26 年度の医療費は40 兆円。この5年で3兆4000億円増であり、医療費削減は急務です。そこに温泉が関与することで、医療費削減の一助となることが期待されています。
溶存成分に水素が関与するのはごく限られた温泉での話にはなりますが、水素は人工でも代替可能(たとえば、今はやりの人工炭酸泉のように)です。よって「水素泉」に認定される温泉は極めて少数であったとしても、その実現は、波及効果を考えれば大きなインパクトをもたらすはずです。当研究所でも「水素泉」の実現に向けて、今後も様々な取り組みを進めていきたいと考えています。
2016年4月2日、「日本の温泉データ」を最新の2014年度版に更新しました。
今回の留意点は以下の通りです。
【温泉地数について】
昨年3月末に環境省自然環境局が発表した温泉地数は3,159カ所で、対前年で74カ所増でした。これについては、昨年の本欄で不自然な違いがあると指摘(こちら)しましたが、その後、修正が行われたようで、現在公表されているデータでは、3,098カ所、対前年13カ所増となっています。つまり、指摘した山梨県の61カ所増の取り消しが行われたようです。その更新時期は不明ですが、環境省ホームページの閲覧時期によって温泉地数の認識が異なることになりますので、注意が必要です。なお、現在最新の2014年度版では修正後のデータに基づいており、不自然な違いは見られません。
【年間延べ宿泊利用人員】
大きな違いが見られたのは三重県で、対前年で1,474,411人減となっています。
以上、2014年度版における留意点となります。
昨年、ある知人から「書いてある内容が何かおかしい。今度、ソレを送るので一度読んでチェックしてほしい」と電話で告げられた。それから数カ月が経過しても知人から“ソレ”が送られてくることはなかったが、すっかり忘れかけていたある日、“ソレ”がデジタルブック形式によりネットで公開されているのを見つけた。“ソレ”とは、福島県にある高湯温泉が発行した「高湯温泉録~ウワサの温泉に初めて科学のメスが入った!」と題する小冊子である。
科学のメスとは、一体どんなメスなのか?
表紙を開いてまず目に飛び込んでくるのが、「温泉は、含有成分だけで体に効くのか?」という意味ありげなタイトルだ。さっそく嫌な予感がする。案の定、最初の本文#1の章にはこう書いてある。「この検証に迫るキーワードは、温泉に含まれる物質の“溶質”ではなく“溶媒”、つまりそれらの成分を溶かす水そのものにある」。
やはり出たか。
これは水をめぐる偽科学の議論では頻出の、というより怪しげな業者や似非研究者によって使い古されてきた常套句である。ちょっと前には『水からの伝言』という本が社会的にさんざん批判を浴びて話題になったが、今回の話も根はまったく同じである。高校化学レベルのリテラシーがあれば、こんな恥ずかしい内容を書くはずもない。それがいきなり、最初の見開きで堂々と展開されているのだから、たまげるほかはない。
さらに読み進めると、#2では「含有成分では申し分ない」と溶存成分の話、#3の酸化還元電位の話ではお決まりの「数値がマイナス云々」の話 (この話自体、正確ではない) が続く。訳知りの人が読めばこの時点で、これ以上先を読まずともお里が知れたようなもので、冊子の科学的レベルとストーリーは明快に予測できるはずだ。
その終着点は#5の「成分や溶質が濃厚であっても、水そのもの、つまり溶媒に力がなければ効かない薬と同じ」である。その「溶媒に力」の根拠は高い還元力、具体的に言えば「マイナス100mV以下」を示す(繰り返すが、これ自体が誤謬である)高湯温泉水なのだそうだが、これは酸化還元反応というものをまったく理解していないことを自白しているようなものだ。溶質(成分)なくして酸化還元反応は起こらない。溶媒(水)に力があるのは、溶質がある(成分が溶けている)からなのだ。たんなる水に特別な力など存在しない。
「酸化還元電位が低いから特別な水」という、水の偽科学で使い古された与太話としてなら聞き流せても、冊子のタイトルに「科学のメス」と公言され、温泉地として誘客に積極的に活用され、そのような誤認識を事実のように広めているのであれば、これは「偽科学」と指弾するよりほかはない。この調査と冊子作成には福島市、温泉教授で知られる松田忠徳氏、東京女子医科大学などが名を連ねているが、いったいどういう見識なのか。「成分ではなく、水そのものに力がある」とは、厚顔無恥にもほどがある。携わった関係者は高校化学から出直してほしい。
ちなみに#5の続きには「活性力のある温泉は、微量な成分でも皮膚から浸透し、血管を通じて全身の細胞に運ばれる」という記述もあるが、これも科学的にみて明らかに不用意な言説だ。これに関わらず温泉一般の話で、「入浴すると成分が皮膚に浸透」という言説が安易に語られているが、これについては前提条件を整えた上での、十分な議論が必要だ。これについても、いずれ論じてみたい。
2015年4月30日、「日本の温泉データ2013」を公開しました。以下、数値上、特異性が見られた事項について、留意点としてお知らせいたします。
【温泉地数について】
今回、対前年で温泉地は74カ所増えています。特異な数値としては、山梨県の61カ所増(2012年度:28カ所→2013年度:89カ所)が挙げられます。環境省の定義では「宿泊施設がある場所」となっているため、1軒宿も温泉地にカウントされます。ところが、宿泊施設数では2012年度:256施設から2013年度:232施設に減っています。これではどうも計算が合いそうになく、不自然です。そこで山梨県の温泉を管轄する森林環境部大気水質保全課に問い合わせをいたしましたが、「理由はわからない」という回答でした。
このほか、宮城県でも36カ所増となっていますが、宿泊施設数は前年度とほぼ同じです。
このように、温泉地数の変動については毎年、どこかの県で不自然な変動があるので注意を要します。参考:2012年度版の温泉地数について
【泉源数】
秋田県:100カ所増 (2012年度:512カ所→2013年度:612カ所)
【対前年で温泉利用がもっとも変化が見られた地域】
京都府の温泉利用で大きな変化が見られました。
・温泉地数:対前年で-1カ所(2012年度:40カ所→2013年度:39カ所)
・利用泉源数:47カ所増 (2012年度:46カ所→2013年度:93カ所)
・温泉施設:42カ所*増 (2012年度:197カ所→2013年度:239カ所)
*このうち、日帰り施設は24カ所
・ゆう出量:毎分5,340リットル増 (2012年度:11,666リットル→2013年度:17,006リットル)
・延べ宿泊利用人員:854,035人増(2012年度:364,380人→2013年度:1,218,415人)
以上、2013年度版における留意点となります。
所要のついでに立ち寄った書店で「温泉批評2015春夏号」が売られているのを見かけた。パラパラと立ち読みをはじめたところ、気になる記事を見つけたので躊躇なく買い求めた。
気になる記事とは、「-温泉教授に聞く-松田忠徳という生き方」と題したインタビュー記事であり、さらに具体的な箇所を言うならば、p116~117の酸化還元電位に関する松田氏の言い分である。
実は、我々は氏がこれまで同誌に執筆した複数の記事のなかで、酸化還元電位ほか関連事項について記述や主張に誤りがあることを編集部に指摘していた。編集部としては、それに応える形でインタビュー記事に盛り込んだつもりなのだろうが、残念ながら体をなしていない。
科学に限った話ではないが、物事には必ず「約束事」というものがある。それは基本事項であり、共通認識であり、作法でもある。そのことが担保されているからこそ、議論もできるし、信頼もできる。ところが、氏の場合はその観点がまったく無視されている。すべてが独善的な解釈で行われているのだ。
識者なら記事を読めばすぐにわかるだろう。話が無茶苦茶である。「目安」「目安」を繰り返す氏の発言は、都合の良い部分を継ぎ接ぎした言い訳に過ぎない。基本的なルールがまったく無視され、手順の正確さの担保すらないデータは、「目安」にもならないのだ。「ORP計は水素電極のものも塩化銀電極のものも使用している」そうであるが、氏は自身の発言が何を意味するのか理解しているのだろうか。唾液の酸化還元電位に関連してと思われる話に至っては、「野菜を食べるより温泉に入浴する方が効果的にミネラルを身体に吸収できる」といったマッド・サイエンスぶりまで発揮している。しかし、インタビュアーはその発言に疑問を呈することもなく、「それができれば本当に魅力的ですね」と応じ、松田氏の将来的な研究ビジョンの紹介へと話を結び付けていく。指摘するインタビュアーも、指摘される氏も、事の本質をよく理解できていない者同士なので、話の焦点が定まるはずもない。結果的に、一時の歓談により氏の主張を追認することになっただけの話であり、見方を変えれば、体よくはぐらかされただけのことである。権威というものは、マスコミを媒介にして、このようにして保たれていくのだろう。想定される読者層を思えばどうでもいい話題であろうし、仕方がないと思えばそれまでの話だが、事はそう単純ではない。
氏の言説がいやらしいのは、至極もっともな意見の中に誤謬がそこかしこに潜んでいることだ。しかも、そのことに当の本人は気づかずにいる。悪気もなく完全になりきっているのだ。そこへ著名であることや大学教授や博士号といった肩書が付加されるので、何の事情も知らずに真に受けるマスコミや一般人には疑うべき理由は何一つなく、信仰の対象にすらなり得えている。それだけに、ひとたび道を踏み外すとたいへん厄介である。その具体例が山口県の俵山温泉をはじめ福島県の高湯温泉(その内容の一部についてはこちら)、三重県の榊原温泉ほか各地で氏が語る「溶存水素」や「酸化還元電位」についての、誤謬に満ちた不用意な言説の数々である。
それにしても、どうして氏は自分にとって都合のいい解釈ばかりを次から次へと繰り出せるのだろうか。もともと「科学は苦手だ」といっていた氏が、「科学的」「医学的」という枕詞を意図的に多用するようになったのは、ここ数年のことであるが、実のところ見せる態度は「文学的」であり、「非科学的」である。氏は人一倍勉強熱心で、本をたくさん読み、温泉に対する情熱の深さは広く知られるところではある。しかし、どんなに「科学」や「医学」の衣をまとってみたところで、根本的な思考が「非科学的」であるために限界がある。これは資質の問題と言っていい。
たとえば、これはよく以前から指摘されていることだが、氏の出世作である『列島縦断2500湯』巻末の入浴リストには、同じ施設が複数回カウントされていたり、風呂のない施設まで登場したりしているが、似たような間違いは氏の著作ではよく見かけることだ。些細なことかもしれないが、このような統計処理的な杜撰さ、目配りのなさは、「科学」や「医学」を扱う上では致命的だ。我々の科学的 (といっても極めて基礎的・初歩的な事項だが・・・) な指摘に対して、「目安としてはそれでいい」とアバウトな返答に終始しているのもその表れである。
つまり、氏は「科学」や「医学」を語り、実践するほどの緻密さ、繊細という姿勢や素養は有していない。要するにその分野には「向いていない(センスがない)」のである。よって、「科学的」「医学的」要素での無理なつまみ食いによる不用意な言説の撒き散らしを慎み、本来の土俵である「温泉文化論」という里に回帰すべきだ。
ここで誤解なきよう明記しておくが、本稿は松田忠徳氏の否定を目的としているわけではない。我々が問題視しているのは、「科学的」という言葉を多用しながら、実際は科学を弄している氏の姿勢であり、軌道修正を促しているのである。具体的には、以下の2点についての誤った言説を是正することにある。
1. 俵山温泉ほかでの溶存水素にまつわる誤謬の流布
2. 上記に関連して各地で語られている酸化還元電位をめぐる誤謬の流布
冒頭の『温泉批評』誌インタビュー記事でのやりとりは、上記1、2の問題に起因してのことであり、その関連として本稿を記さざるを得ない状況に至ったためである。それ以外の他意はない。
なお、特に上記1について、我々は「不当表示」に当たる深刻な社会問題であると捉えている。この問題については、解決されるまで継続的に取り上げていく考えである。
【2015年11月30日追記】
俵山温泉の問題について解決の兆しが見えないため以下のページで問題提起しました。
「俵山温泉、山中温泉に高濃度の溶存水素は存在しない」
簡易式溶存水素計(ENH-1000等)で温泉水を測定し、「溶存水素がある」と誤認する事例 (山中温泉、俵山温泉ほか) が増えています。
簡易式溶存水素計は、溶存している水素 (H2のことです。温泉分析書に記載のあるH+のことではありません。誤解している方が非常に多いので敢えて付言しておきます) を直接、選択的に測定するのではなく、酸化還元電位計を応用した簡易的な測定器です。
仕組みとしては、対象となる液体の酸化還元電位を測り、内蔵している検量線データに基づいて、溶存水素量を推定して算出するものです。
しかし、判断基準が酸化還元電位のみであるため、水素以外にも還元性の物質が混じっている液体や、基本的に還元性である温泉(塩素消毒された湯は除く)では、測定した酸化還元電位をすべて溶存水素量に換算してしまうので、溶存水素がなくても「あり」となってしまいます。また、pHの違いは一切考慮されませんので、酸化還元電位の特性によりpHの高いアルカリ性の水素水では溶存水素量が実際より多く表示されますし、逆に酸性になると溶存水素があっても「なし」と表示されます。
つまり、この測定器は純粋な、pH7前後の「水素水」のみを対象としていて、それ以外の液体を測るということは想定していないのです。よって、酸化還元電位の観点を踏まえれば、pH7前後の純粋な水素水であればある程度、参考程度の値を得ることができると考えられますが、それ以外の用途(たとえ水素水でもpH7前後以外では)では役に立たないのです。
さらに付言すれば、酸化還元電位計の電極は管理や使用の状態により、正しい値を示さなくなることが多々あります。酸化還元電位計であれば、知識と経験のある方であればそのことを熟知しているので回避が可能ですが、簡易式溶存水素計ではその確認が困難です。よって、もともと推定値で示される値に、さらに不確かさの要因が加わるため、オフィシャルな用途に使用することはできません。
このことは水素水や温泉水の科学的な性質や酸化還元電位の挙動を熟知している人であればイロハのイ、すなわち極めて基本的な話です。簡易溶存水素計のメーカーのでも、「単純な水素水以外では使えない」と明言しています。にもかかわらず、自ら「専門家である」と名乗りながらも、こうした理屈を一切知らず、また、説明しても理解することなく、温泉に水素があると声高に主張を続けている大学教授がいて、結構困った状況になりつつあります。
【簡易溶存水素計についてのまとめ】
1. 温泉水等の還元性の溶液の測定には使えない
2. pH7前後の純粋な水素水であれば個人の参考程度には使える
3. 純粋な水素水でも、酸性やアルカリ性の領域では使えない
4. よって、対外的に示す水素水の評価や商品販売の宣伝等には使うべきではない
この詳細については、日本温泉科学会「温泉科学」第64巻3号の「天然温泉における溶存水素(H2)」と題する論文で詳しく報告しています。論文の解説版については、こちらをご覧ください。
【2015年11月30日追記】
この件に端を発する俵山温泉の問題について未だ解決の兆しが見えず、官民総出で誤った情報の流布が続いているため、以下のページで問題提起しました。
「俵山温泉、山中温泉に高濃度の溶存水素は存在しない」
2015年1月末発行予定の日本温泉科学会の学会誌「温泉科学」第64巻3号にて、「天然温泉における溶存水素(H2)」と題する論文を発表します。
この論文の要旨は以下の3点です。
(1)2012年に山中温泉、2013年に俵山温泉で相次いで発表された高濃度の溶存水素は、不適切な測定方法による誤認であるという指摘
(2)上記誤認の主因となったと考えられる簡易溶存水素計の問題点
(3)現在のところ、天然状態の温泉水に溶存水素が確認できるのは白馬八方温泉(長野県)のみであること
この論文を発表することになった背景には、溶存水素およびその測定に対する認識不足に基づく誤認の広がりがあります。温泉水に溶存水素があるという情報は、10年ほど前から頻々と聞かれましたが、いずれも温泉水の測定には使えない測定方法による誤認情報ばかりでした。
今回の上記(1)についても、簡易溶存水素計の仕組みと温泉水の科学的性質を理解していないために起きた誤認ですが、マスコミやインターネットを通じて、こうした誤認情報が拡散しています。水素があると思い込んできたという観光客も実際に見られることから、根の深い問題になりつつあります。
当所では2012年に山中温泉で発表があって以来注視を続けてきましたが、2013年に俵山温泉でも同様の発表が続いたことから、以来、1年半にわたり慎重に調査を続けてきたものです。
詳細は、こちらの論文解説版をご参照ください。
【2015年11月30日追記】 俵山温泉の問題について解決の兆しが見えないため以下のページで問題提起しました。 「俵山温泉、山中温泉に高濃度の溶存水素は存在しない」
関連情報: 説明責任
温泉地というと、一般的なイメージでは草津や熱海といった、ホテルや旅館が多く建ち並び、土産物店が軒を並べる一つの”街”的な姿を思い浮かべますが、環境省の定義では「宿泊施設がある場所」となっているため、1軒宿も温泉地にカウントされます。2014年春に発表された2012年度データでは、日本の温泉地は3,085カ所です。ところが、この数値には毎年、疑問符が付きます。
その前年度である2011年度と比べると温泉地は-23となっています。もちろん、草津や熱海といった規模の温泉地が毎年消えたり、出現したりするわけがありませんから、その数の主体は1軒宿による温泉地です。ですから、温泉地の増減は、温泉宿泊施設の増減と密接な関連があります。そこでまず、県別の温泉地の増減をみてみると、もっとも大きな動きがあったのは熊本県の-27でした。ところが宿泊施設の増減を見てみると、温泉地数に影響を与える宿泊施設は-10しかありません。単純に考えれば、一軒宿の温泉宿泊施設が27軒廃業し、温泉地数に影響を与えない既存の温泉地に17の宿泊施設が新たにオープンしたことになりますが、全国的に温泉宿泊施設が減少の一途をたどっているなかで、他県の増減と比較しても明らかに大きな数字であり、違和感を感じます。
実は熊本県には前科があります。2009年度で80であった温泉地数は、2010年度には114と一気に34も増えています。そこで当時、環境省に「なぜ34も増えたのか」と理由を聞いたところ、「県による計上の仕方の違い」といった趣旨の回答がありました。そして2011年度には82となり、-32となりました。これについて再度、環境省に問い合わせましたが、返事がありませんでした。おそらく、前年度の誤計上を修正したためでしょう。そして今回は-27となるわけです。その真相は不明ですが、熊本県の変動数が飛びぬけて大きいため、全体の温泉地数にも大きな影響を与えているわけです。
データの発表は環境省ですが、実際にカウントしているのは各都道府県が行っているため、計上の仕方の違いやミスなどにより、温泉地数以外にもこうした齟齬はかなり含まれていると思われます。とくに「ゆう出量」や「延べ宿泊者数」などにはかなりの誤差が含まれていると考るのが妥当でしょう。
管轄保健所数や市町村数は間違えないとしても、日々変動する対象において正確な絶対数を把握することは不可能です。数値を読み解く際には、こうした背景にも思いを巡らせてみることも必要です。
先日、ある二つの温泉地(仮にA、Bとします)に対して、あることについて質問のメールを送りました。いずれも、その分野に少しでも明るければ「あり得ない」とすぐに判断できる初歩的な内容なのですが、それを「ある!」と誤認してホームページで宣伝をしています。しかも、温泉地Aは某国立大学のC名誉教授、温泉地Bは某私立大学のD教授が関わっていて、お墨付きを出しているのです。実際、それぞれの温泉地を訪ねてみました。温泉地Aでは、飲泉場の前で地元の関係者らしい方が観光客に「○○なので効果がありますよ」と宣伝をしています。温泉地Bでは、たまたま視察団が来られていたようで、地元の旅館組合の方と思われる案内人が泉源を前にして、説明をされている場面に遭遇しました。そこでさりげなく視察団に混じって耳を傾けていると、やはりここでも「○○なので素晴らしい泉質だ」という説明をされています。それが間違いであることに疑いの余地はないのですが、温泉地A、Bの方は大学教授からのお墨付きとあって、すっかり信じ込んでいます。そのことについて温泉地A、Bの方々を責めるわけにはいきませんが、それだけにずいぶん酷な話でもあると思います。
そこで、「あり得ない」ことが、なぜ、「ある」という判断に至ったのかを知りたくてメールを送ったのです。温泉地Aからは数日後、「我々ではわからないので、C名誉教授に聞いてほしい」と直接電話がありました。そこで、C名誉教授に同様のメールを送ったのですが、3週間以上たっても音沙汰なしです。温泉地Bからは「後程、担当者からご返事します」という自動返信メールがあっただけで、同じく3週間以上たっても何の連絡もありません(追記:最初のメールから1カ月半経過しても返事がなかったので、具体的な事実関係を提示して2度目のメールを送りましたが、返信はいただけませんでした)。
温泉は物語の世界です。温泉地の歴史で言えば、熊や鹿、あるいは弘法大師が温泉を発見したという話に始まり、効能で言えは胃腸に効く、傷に効く、最近に至っては美肌やデトックス効果など、その真偽は別として、温泉を彩る物語は尽きることがありません。たとえこれらの話が事実でなかったとしても、温泉を楽しむための余興ということで聞き流すことができるでしょう。
しかし、温泉地AとBの話は、これとは様相が全く異なります。話は科学的な内容であるうえ、「あるはずがない物」が「ある」と断言され、数値まで明確に示されています。しかも、温泉地A、Bともにホームページで温泉の効能に結びつける形で明確に謳われているのです。
この問題は、科学的な内容を保証したC名誉教授、D教授についての部分と、それを宣伝している温泉地側の対応の部分の二つに切り分けて考える必要があります。我々が問題視しているのは前者の部分についてですが、後者の部分である温泉地の宣伝内容については、たとえ質問者が誰であっても説明責任があるはずですから、各温泉地の対応には自覚がなく、失格と言わざるを得ません。
いずれにしても、両者ともに説明責任が発生する内容です。それにまともに「答えられない」(つまり自信がない)、あるいは「答えたくない」「答える必要はない」と考えているとすれば、世に発表したり広告宣伝をする資格はないのでは、と思います。
【追記 2015年4月】
投稿から1年経過しても事態が改善される見込みがなく、もはや伏字とする理由もないので、以下追記いたします。
温泉地A→山中温泉(石川県)
温泉地B→俵山温泉(山口県)
某教授C→廣瀬幸雄氏(金沢大学名誉教授)
某教授D→松田忠徳氏(札幌国際大学教授)
【2015年11月30日追記】
この件に端を発する俵山温泉の問題について未だ解決の兆しが見えず、官民総出で誤った情報の流布が続いているため、以下のページで問題提起しました。
「俵山温泉、山中温泉に高濃度の溶存水素は存在しない」
温泉地や温泉施設から調査業務についての問い合わせをいただきます。調査内容は様々ですが、どんな調査でも依頼主にとって満足できる良い結果が必ず保証されているわけではありません。しかし、依頼する側としては「良い結果が出る」ことを前提に問い合わせをされてくる場合がほとんどです。とくに端的に示されるのは広告代理店からの問い合わせです。たいてい、「ウチのクライアントのある温泉施設が…」という話ですが、温泉地名、施設名は必ず伏せられた上で、「こういう結果を出してもらうことを希望している。可能であるなら費用はいくらか」と単刀直入に聞いてきます。平たく言えば、「クライアントが希望する台本に沿って結果を作ってくれるのなら、お金はいくらでも出しますよ」、ということなのでしょう。
私たちは温泉研究所とは名乗っていても、国でも大学でもない一介の株式会社です。どんな商売であれ、お金をたくさん使ってくれるお客様はどこでも大歓迎です。しかし、こちらも素人ではありませんから、先様のご要望に沿う結果が出そうか、出ないかは、話の向きで瞬時に判別できます。ストーリーに沿った結果が出ないことが丸見な無理筋の案件であれば、安易に引き受けることはできません。とくに温泉の効果効能や質に絡む話は慎重でなければなりません。当所がお引き受け可能な調査内容であれば前向きに取り組みますが、同時に、調査は客観的なものであり、必ずしも期待通りとなる保証はなく、リスクもありますよ、とお伝えします。すると、お問い合わせいただいた案件のうち九分九厘は、ものの数分の電話のやりとりで立ち消えになります。株式会社的には困りものですが、道義的にはそれでよいのです。
いま、STAP細胞に関する騒動がピークを迎えています。新聞報道では総じて当事者の旗色は悪い方向で書かれています。私たちとは分野は違いますし、知識も持ち合わせていないので内容面での論評はできませんが、ただ、一つだけ私たちにもはっきり垣間見えたことがあります。それは、プロセスを疎かにして、結果だけを拙速に求めすぎたのではないか、という疑問点です。
これと同じことは、最近、温泉の世界でも見受けられます。温泉の看板を掲げている事業者や研究者にとって、その効果・効能を強調できる何かの発見や実証は、究極の夢です。しかし、その背景やプロセスに対して十分な認識や検証がないまま、安易(あるいは無理やり)に結論へと直結させている例が散見されます。なかには大学教授とか名誉教授という肩書でお墨付きがついていたりもする例も多々見られます。内容が正しければいいのですが、明らかに間違った内容が権威によって保証されているのは、いったいどうしたことでしょう。
考えられる理由として、
1.認識不足、あるいは確認不足による単なる間違い
2.何らかの理由で、無理やり成果を創出しなければならなかった
3.権威付けの飾りとなる手柄を増やしたかった
こんなところでしょうか。
STAP細胞の話や作曲家のゴーストライター騒動など、プロとしての心構えを思い違えている人が権威への信頼を失墜させ、社会における性善性の部分を揺るがしています。一般人にとって理解が難しい内容であればあるほど、権威(その道のプロ)を信じるしかないのです。こうした事態を垣間見るにつれ、独り善がりに走らず、功を焦らず、ひろく社会を見据えた取り組みが必要であることを痛感させられます。とくに私たちは、社会性を重視しています。温泉と社会の結びつきの中で、おかしなこと、気づいたことがあれば、見て見ぬふりをするのではなく、積極的に関与していくべきだと考えています。