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2015年4月6日

 

論文「天然温泉における溶存水素(H2)」の解説

当研究所では、2015年2月発行の日本温泉科学会の学会誌「温泉科学」第64巻3号にて、「天然温泉における溶存水素(H2)」と題する論文を発表しました。

この論文を発表することになった背景には、溶存水素およびその測定に対する認識不足に基づく誤認の広がりがあります。温泉水に溶存水素があるという情報は、10年ほど前から頻々と聞かれましたが、いずれも温泉水の測定には使えない測定方法による誤認情報ばかりでした。

2012年に山中温泉、2013年には俵山温泉において高濃度の溶存水素が存在すると発表された事例についても、簡易式溶存水素計の仕組みと温泉水の科学的性質を理解していないために起きた誤認ですが、マスコミやインターネットを通じて、こうした誤認情報の拡散が続いています。水素があると思い込んできたという観光客も実際に見られることから、根の深い問題になりつつあります。明らかに誤っているにもかかわらず、“正しいもの”として発信され続けている事態の是正に声を上げることは、温泉科学の観点としては喫緊の課題です。

以下、その要旨(アブストラクト)と、論文のおもな三つの要点について解説します。

【2015年11月30日追記】
なお、この問題は俵山温泉、山中温泉ともに現在でも解決に至っていない進行中の事案です。この背景と問題点については別稿で提起しているのでご参照ください→(「俵山温泉、山中温泉に高濃度の溶存水素は存在しない」はこちら)
 
■論文について

タイトル:「天然温泉における溶存水素(H2)」 Dissolved hydrogen (H2) in natural hot spring
著者: 森本卓也(責任著者) 1),小島英和1),大河内正一2)
所属: 1) 日本温泉総合研究所 2)法政大学生命科学部

 【論文のアブスト】
温泉水に高濃度の水素(H2)が溶存すると報道されている石川県・山中温泉、山口県・俵山温泉、かねてより高濃度の水素ガスの存在が知られている長野県・白馬八方温泉を調査し、溶存水素濃度、およびそれと密接な関係を持つ酸化還元電位を測定した。この結果、山中温泉、俵山温泉においては高濃度の溶存水素は観測できなかった。一方、白馬八方温泉については第1号泉源において431 ppbの溶存水素濃度と最大-648 mVという極めて低い酸化還元電位を観測した。白馬八方温泉は山間部の泉源から市街地まで約4 km引湯しており、配湯経路を進むに従って溶存水素濃度は徐々に低下し、市街地に到達する段階ではほぼ消失した。しかし、経路途中にある温泉施設では溶存水素濃度が150 ppb前後で保たれていることから、活用方法によっては飲泉や入浴効果において、これまでの温泉の効果・効能の常識を覆す、高い可能性を秘めていることが示唆された。

【Abstract】
Dissolved hydrogen (H2) gas concentration and the closely related redox potential were investigated in the hot spring waters of Yamanaka Hot Spring in Ishikawa Prefecture and Tawarayama Hot Spring in Yamaguchi Prefecture, both of which are reported to have a high concentration of dissolved H2 gas. In addition, the same two items were measured in the hot spring waters of Hakuba Happo Hot Spring in Nagano Prefecture, which has long been known to contain a high concentration of dissolved H2 gas. The results show that a high concentration of dissolved H2 gas was not observed in the Yamanaka or Tawarayama Hot Spring water samples. Also, a dissolved H2 gas concentration of 431 ppb as well as an extremely low redox potential with a maximum value of -648 mV was observed in the Hakuba Happo Hot Spring water from hot spring source no. 1. The Hakuba Happo Hot Spring water is piped approximately 4 km from the hot spring source in the mountains to urban areas, and during its journey the water gradually loses its dissolved H2 gas. When it finally arrives at the city the concentration is almost zero. However, the dissolved H2 gas concentration was maintained around 150 ppb at hot spring facilities along the pipe route between the source and the city. These observations suggest a strong possibility of overturning the conventional understanding of the effect and efficacy of hot spring water according to its use, such as for drinking and bathing.
 

■論文の3つの要旨

(1) 山中温泉、俵山温泉に高濃度の溶存水素は存在しない


山中温泉(2014年3月及び9月)、俵山温泉(2014年2月及び9月)ともに時期を違え、各々延べ6〜8回以上にわたり、当該温泉地の公開情報に基づく場所でサンプリングを行い、隔膜型ポーラログラフ電極式による溶存水素計(共栄電子製作所製KM2100DH)により測定しました。その結果、いずれも検出下限値(20ppb)以下であり、両温泉地で公表または新聞報道された高濃度(山中温泉:604ppb、俵山温泉:400ppb)の溶存水素は確認できませんでした。

(2)簡易式溶存水素計の挙動と問題点

「ある」か「ない」か、という観点では、上記(1)の結果で簡単に決着がつきます。ところが、両温泉地では実際には存在しない水素が「ある」と大々的に主張されています。よって、この問題を終息させるには、なぜ「ある」と主張されるに至ったのかについて、原因を明らかにする必要があります。

その原因は、山中温泉、俵山温泉ともに温泉水を測定対象にしてはならない簡易式溶存水素計ENH-1000を使用したことにあります。この水素計は、溶存水素を直接的、選択的に測るものではありません。対象となる液体の酸化還元電位を測り、内蔵している検量線データに基づいて、溶存水素量を推定して算出するものです。よって、水素以外に還元性の物質が混じっている液体や、基本的に還元性である温泉では、測定した酸化還元電位をすべて溶存水素量に換算してしまうので、溶存水素がなくても「あり」となります。また、pHの違いは一切考慮されませんので、酸化還元電位の特性によりpHの高いアルカリ性の水素水では溶存水素量が実際より多く表示されますし、逆に酸性になると溶存水素があっても「なし」と表示されます。

そこで論文では各種溶液を用意し、塩酸や水酸化ナトリウムの添加によりpHを変えて測定を行う実験により、簡易式溶存水素計の挙動と問題点を明らかにしました。

(3) 天然状態の温泉水で溶存水素を確認できるのは白馬八方温泉のみ

白馬八方温泉は、超塩基性の蛇紋岩地帯から湧出するpH 11超という屈指の高アルカリ性の温泉として広く知られています。同温泉が高濃度の水素ガスを伴って湧出していることは、一部の研究者の間では知られていたことですが、それが蛇紋岩化作用により無機的に水素が生成されたものであることが確認されたのは、つい最近のことです。

そこで白馬八方温泉を調査したところ、泉源においては最大431ppbの溶存水素が確認されました。白馬八方温泉は山間部の泉源から市街地の入浴施設まで数kmにわたり引湯されているため、末端の各浴場では溶存水素は消失しています。しかし、もっとも泉源に近い「おびなたの湯」の飲泉場では150ppb前後を確認することができ、目下のところ、天然状態で身近に触れられる水(温泉)としては、もっとも高濃度の溶存水素を有していると考えられます。

■まとめ

水素(H2)は、現在の温泉法では対象外の物質です。最近では水素の研究が進み、その効能についても、さまざまな臨床実験による成果で明らになりつつあります。温泉の観点に当てはめてみると、水素は既知の温泉成分でもっとも明瞭な効果が確認されている二酸化炭素(CO2)をも凌駕する可能性を秘めています。温泉水に水素が溶存することで、新たな泉質名誕生さえ期待できます。

しかしながら、ある程度の溶存水素濃度を維持した温泉は全国的に見ても極めて特殊な例と考えてもよく、現在のところ本論において白馬八方温泉における実際がようやく明らかとなったにとどまります。

一方、水素を巡ってはブームに便乗した有象無象の情報が多く出回っています。体系的な知識もなく、極めて初歩的な誤りにも気づかないまま不適切な方法で測定を行い、その結果、誤謬がマスコミを通じて拡散するなど社会的弊害にもなりつつあります。このことは、残念ながら2015年4月時点において現在進行形の事案です。このような事態をどのように捉え、対処していくかについて、 有識者間で深い議論を行う必要に迫られています。
 
【2015年11月30日追記】
なお、この問題は俵山温泉、山中温泉ともに現在でも解決に至っていない進行中の事案です。この背景と問題点については別稿で提起したのでご参照ください→(「俵山温泉、山中温泉に高濃度の溶存水素は存在しない」はこちら)
 

2015.04.06

日本温泉総合研究所